普段、何気なく食べているパンが、実は1万年以上もの歴史を持つことをご存知でしょうか。
古代メソポタミアで生まれたパンは、長い時間をかけて世界各地に広がり、日本も含めてそれぞれの文化と融合しながら進化を続けてきました。
本記事では、パンの起源から現代日本の製パン技術まで、その魅力的な歴史を紹介しています。
パン文化の新たな可能性や製パン技術を学ぶ意義についても解説しているので、ぜひ最後までご覧ください。
パンの歴史:起源は古代メソポタミア
まず、パンがどのようにして生まれたのか、もっとも古い記録が残る古代メソポタミアでの起源から解説します。
古代メソポタミアに見られるパンの記録
約4,000年前の古代メソポタミア期に書かれたシュメールの粘土板には、アカルと呼ばれるパンを携帯し、2人で食した一節が記されています。
また、別の場所で出土した粘土板には、80種類にも上る多様な種類や製法が書かれていました。
確認できている記録に基づけば、パンの歴史は古代メソポタミア文明にその端を発し、当時の製法が現代のパンの基礎を築いたと考えられています。
ちなみに、パンの痕跡で最古とされるのは、ヨルダンの遺跡で発見された約1万4,400年前の化石です。
パンの原型「アカル」とは
メソポタミアで生まれた最古のパンは、アッカド語で「アカル」と呼ばれます。
アカルは酵母で発酵させない無発酵パンで、粉を水でこねて薄く伸ばし、石や灰で焼くシンプルなものでした。
アカルを現代のレシピで再現すると、ベーグルに近いかみ応えのあるパンが出来上がります。
古代から広がるパン文化の系譜
メソポタミアで誕生したパンは、古代エジプトやギリシャ、ローマへと時代を超えて伝わっていきます。
各時代におけるパン文化の進化・変遷を見ていきましょう。
古代エジプト【発酵技術の発見】
パンの歴史における転換期は、古代エジプトで起きました。
放置された生地が空気中の酵母によって偶然発酵し、ふっくらと焼き上がったことが「発酵パン」の誕生につながったのです。
古代エジプトから始まった発酵技術により、現在食されているパンの基礎が形作られたといえるでしょう。
古代ギリシャ【製パン技術が進化】
古代ギリシャでは製パン技術が大きく進化し、専門の職人が登場します。
石臼の改良や焼き窯(かまど)の開発などを経て、パンの品質がさらに向上しました。
ぶどうの汁から起こした酵母の使用や、チーズやハチミツを加えたパンの開発など、70種類以上もの多彩なレシピが考案されます。
このとき登場したパン職人たちの持つ技術が、次のローマ時代へと引き継がれていくのです。
ローマ時代【大量生産と職人ギルド】
ローマ帝国においてパンは市民の主食として重要視され、国家の管理下で大量生産体制が築かれました。
この時代、パン職人たちは親方と弟子で構成されるギルド(同業者組合)を結成します。
国に資するパン職人のギルドには高い社会的地位が与えられ、職人の技術と収入基盤もしっかりと保護されていました。
ルネサンス時代【庶民の家庭へ普及】
ルネサンス期になると、一般庶民への普及がさらに加速していきます。
パンを焼く窯は領主やパン屋などが所有していましたが、窯の使用料を支払うことにより、一般庶民も自分たちでパンを焼くことが可能になりました。
地元のパン屋から購入するケースもあり、パンはより広く家庭の食卓に浸透していきます。
18世紀以降【多様なパン文化の発達】
18世紀以降、ヨーロッパでは産業革命を背景に、製パン技術が飛躍的に進歩しました。
製粉や輸送の技術が革新され、社会が豊かになるにつれて、人々の食への関心も高まります。
こうした時代の流れの中で、各国の国民性や食文化を色濃く反映した以下のようなパンが、次々と生み出されていきました。
イギリスのホワイトブレッド
18世紀以降のイギリスでは、製粉技術の革新で良質な小麦粉が作れるようになりました。
また、北米産の高品質な小麦も輸入できるようになったことから、型に入れて焼き上げる「ホワイトブレッド」が誕生します。
フランスのバゲット
フランスを象徴する「バゲット」の誕生に関しては、ナポレオン付きのパン職人が、兵士が持ち運びやすいパンを考案して誕生したという説や、オーストリアのパン職人がパリに店を開いて広めたという説など、いくつかの説が存在しています。
ですが、どれか一つが正しいとは断定されておらず、実際には複合的な要因だともいわれています。
私たちが知るバゲットの普及に決定的な役割を果たしたのは、労働法の改正です。
深夜労働が禁じられたことで、夜中に仕込み始め朝に焼き始める従来のパンよりも、早く作ることができるパンが必要とされました。
そこで、短時間で仕込みから焼き上がりまで終わるバゲットが重宝されるようになったのです。
パンの歴史:日本への伝来
ここからは視点を日本に移し、西洋で発展したパンがいつ、どのように伝来し、日本の食文化の中に浸透していったのか解説していきます。
戦国時代【ポルトガル人より伝来】
日本に初めてパンが伝わったのは、1543年にポルトガル人が鉄砲を伝来させたときでした。
当時のパンは保存用に作られた硬いもので、織田信長に献上された記録もあります。
しかし、米を主食とする日本の食文化には根付かず、広く普及しませんでした。
幕末期【兵糧パンの開発】
幕末期、伊豆韮山代官の江川英龍が軍事用の保存食としてパンの有用性に着目しました。
彼は日本で初めて本格的なパン製造に取り組み、これを「兵糧パン」と名付けます。
これが日本のパン作りの礎となり、鎖国をしていた日本が開かれた後のパン文化発展につながる重要な一歩となりました。
明治期【パンの浸透】
明治時代に入り、文明開化の波とともに西洋の食文化が注目されるようになると、パンは少しずつ人々の間に広まり始めました。
当初は外国人居留地や都市部の西洋料理店などで提供されていましたが、やがて日本人の味覚に合わせた以下のようなパンも考案されます。
木村屋の酒種あんパン
明治時代、木村屋創業者の木村安兵衛氏は、日本人の味覚に合うパンを追求しました。
彼は日本酒由来の酒種酵母で作った生地にあんこを組み合わせた「酒種あんパン」を開発します。
この日本独自のパンは明治天皇に献上されるほどの人気を博し、パン普及の立役者となりました。
つけ焼きパンの流行
明治の中ごろに起きた大凶作をきっかけに、米の代用食として「つけ焼きパン」が流行しました。
これは、シンプルなパンに醤油や味噌などを塗り、香ばしく焼いたものです。
日本人になじみ深い味付けが人気を呼び、市場はさらに拡大していきます。
戦後以降【パン食の普及】
日本の食卓にパン食が本格的に普及したのは、第二次世界大戦後のことです。
食糧難の中、アメリカから援助物資として小麦粉が大量に供給されました。
これがきっかけとなり、パンは日本の食生活を支える重要な食品としての地位を確立していくことになります。
学校給食にパンが導入
戦後から、アメリカからの援助物資であった小麦粉を活用する形で、全国の学校給食にパンが導入されました。
主にコッペパンが提供され、子どもたちは日常的にパンに親しみます。
そのような子どもたちが大人になってからもパンを食べ続けたことが、家庭でのパン食を普及させる大きな原動力となりました。
コンビニにパンが並ぶ
1970年代以降にコンビニエンスストアが全国に普及すると、パンはさらに身近な存在になっていきました。
菓子パンから総菜パンまで、さまざまな種類が24時間いつでも手に入るようになります。
これにより、パンは朝食だけでなく多様なシーンで食べられるようになりました。
近年【製パン技術はトップクラスに】
近年における日本の製パン技術は、世界でもトップクラスと評価されています。
世界最高レベルの製パンコンクールで複数回入賞した実績もあり、アジア各国からの技術習得を目的とした留学先にも選ばれることが多くなっています。
日本ならではの精密な技術管理と独創的な発想力は、世界をリードする立場にあるといえるでしょう。
パン文化の新たな可能性
ここからは、長い歴史を経て発展してきたパン文化が、現代においてどのような新しい可能性を秘めているのかをご紹介します。
「体験」を重視した商品が人気に
消費者の価値観が「モノ」の所有から「コト」の体験へとシフトする中で、パンの世界でも「体験」を重視した新しい商品が増えています。
SNS時代を背景とした中で、思わず写真に撮りたくなるような「視覚的魅力」も、重要な価値基準として定着しつつあります。
また、異なる食文化を融合させたハイブリッド商品も若者に人気で、これまでにない体験をもたらしてくれる味の開発が進められています。
「晩ごパン」の提案
朝食のイメージが強いパンを、夕食の主食として楽しむ「晩ごパン」という新しい食スタイルが提案されています。
「晩ごパン」が浸透すれば、お米を炊く時間がない忙しい日でも、おいしいパンで手軽に満足度の高い食卓を囲むことができるでしょう。
パン市場の新たな成長領域として注目されるだけでなく、食生活をより柔軟で楽しいものに変えてくれる期待感もあります。
「食育」を通じたパン作り
パン作りは、子どもたちの食への興味を引き出す「食育」活動としても注目されています。
食育で気を付けなければならないポイントの一つに安全面がありますが、火や包丁を使わずに取り組めるパン作りは、食育に最適な活動の一つです。
身近な粉が姿を変え、香ばしく焼き上がる過程は、子どもたちにとっても楽しい時間と感じられるでしょう。
作業を通じて親子のコミュニケーションも生まれやすいことからも、食育としてのパン作りはおすすめです。
これから製パン技術を学ぶ意義とは?
パンには、1万年以上にわたって受け継がれてきた歴史と文化が詰まっています。
そんなパン作りの世界に一歩踏み出すことは、過去から未来へと続く技術のバトンを受け取ることでもあります。
最後に、壮大で奥深い歴史を持つパンの世界において、これから製パン技術を学ぶことの意義について考えてみましょう。
専門性の高い技術を継承できる
パン職人になることは、古代から続く専門的な技術と知識の継承者になることを意味します。
発酵や成形などの繊細な作業には、科学的な知識と感覚的な判断力の両方が求められます。
日本菓子専門学校では、そうした専門的な製パン技術を、基礎から丁寧に学べるカリキュラムを整えています。
温度や湿度まで管理された環境の中で、パン作りにじっくりと向き合える時間です。
毎日の実習で、少しずつ自分の感覚が磨かれていく喜びを味わえます。
食文化の普及・継承に貢献できる
おいしいパンを作る仕事を通して、人々の食生活を豊かにし、パンが持つ文化的な魅力を社会に広められます。
料理教室や体験活動などの行事に、高い技術を備えた専門職人として参加することで、食文化の普及・継承に貢献できます。
例えば、親子参加型の製パン教室に指導者として参加したり、製パンワークショップを店舗で開催したりと、貢献の仕方はさまざまです。
日本菓子専門学校は、パンを通して笑顔を届けることを目指し、技術だけでなく気持ちも大切に育てています。
職人として社会的貢献が可能になる
製パン技術を身に付けることは、社会的な課題の解決に貢献することにもつながります。
例えば、地元の食材を使ったパン作りや、フードロスを減らす取り組みなど、身近な社会課題に自分のアイデアで貢献できるでしょう。
パン作りを通して、サステナブルな社会の実現に寄与できることは大きな意義となります。
まとめ
パンは長い歴史の中で文化と融合し、日本でも独自の食文化として発展しました。
専門技術を学ぶことは、この豊かなパン文化の未来を創造することにつながります。
そして、パン作りは学ぶほどに奥深く、自分の想いをカタチにできる技術でもあります。
日本菓子専門学校では、パン・洋菓子・和菓子の3分野を通して、確かな技術と感性を育てる学びの環境が整っています。
パンを通じて人々を笑顔にする職人を目指してみたい方は、ぜひ日本菓子専門学校のオープンキャンパスにいらしてください。
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