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カステラは和菓子?~歴史を学ぼう~

小さな子どもからお年寄りまで、幅広い年齢層から好まれるカステラ。
カステラは、ポルトガルから長崎に伝来したといわれています。
実際には、どのように伝わり、現在のカステラが作られるようになったのでしょうか。 

カステラの伝来のきっかけ 
カステラは、スペインのカスティーリャ王国で生まれたお菓子といわれています。
ポルトガル人が、カスティーリャ王国のことを「カステラ」と発音していたことが、語源のきっかけと考えられています。 

1549年に、フランシスコザビエルが日本にキリスト教を伝え、同時に南蛮菓子を伝えたことが伝来のはじまりでした。フランシスコ教会の神父たちがカステラの製法を伝授したといわれています。 

伝来当初のカステラは、今のように甘くはなく、食感も固いものでした。しかし、伝来した長崎では中国から砂糖が豊富に入るため、日本人の味覚に合うようにさまざまな工夫が施され、現在の柔らかく美味しいカステラになったのです。
伝来した場所が長崎でなければ、今のカステラはなかったかもしれないですね。 

日本人で最初にカステラを作った人 
長崎縁起略などの古文書によると、1587年頃に長崎の金屋町で南蛮菓子商を営んでいた村山東安という人物が作ったのではないかと記されています。
また、この村山東安が豊臣秀吉に出会った際、南蛮菓子や南蛮料理を作ったことが気に入られ、長崎代官にまで引き立てられたといわれています。 

日本で初めてカステラを作った人は、ルイス・デ・アルメイダというポルトガル人とされています。医学の知識がある貿易商人で、現在の大分県に西洋式病院をつくった人物です。ここでは、患者に牛乳を飲ませたり、卵や牛肉を食べさせたり、カステラもつくっていたと考えられています。 

カステラは洋菓子?和菓子? 
カステラは、先述したとおりポルトガルから伝えられた渡来物です。
しかし、現代ではカステラは和菓子と分類されているのです。 

実は、カステラ本来が日本へ伝わったわけではありません。 
ポルトガルから伝えられたお菓子は「南蛮菓子」と呼ばれます。代表的なものはこんぺいとうやアメ、ビスケット、タルトなどが挙げられます。 

ポルトガルには、「カステラ」自体は存在せず、カステラの原型とされている南蛮菓子は、見た目も作り方も異なるものです。
そのため、南蛮菓子を日本人に合うように改良されたこの「カステラ」は、日本発信の和菓子と判断されるのです。 

現代の日本で当たり前に食べられているお菓子には、それぞれの歴史があります。
お菓子の歴史は、新しいレシピを生み出すヒントになることも。
製菓技術を身に付けながら、お菓子の歴史を学んでみるのもスキルアップに繋がるのではないでしょうか。

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